なないろ「cacao ~ここから始まる恋の原点、チョコレート未満な苦味と歯ごたえのcacao~」

「おはようございますイルカ先生」
「あ、おはようございます」
職員室に入って直ぐ声をかけられ、イルカは挨拶を返し頭を下げた。
外していなかったマフラーを手にかけた所で視界に入った赤い包みに、イルカは顔を上げる。
挨拶を交わした少し歳上の女性教員が、その包みを持ってイルカに差し出している。
「イルカ先生にも」
その言葉に、え、と返すとその女性教員は笑った。
「先生、今日はバレンタインですよ。これは女性職員からです」
「あ、どうも」
情けない笑みを作って包みを受け取る。自分の席に座って、改めてもらった赤い包みを見つめた。
ーーバレンタイン。
微かに眉を寄せたイルカはコクリと唾を飲み込んだ。
忘れていたわけではない。ただ、どうしようと思っていたら気が付けば当日になっていて。
(...だから忘れようと思ってたわけじゃない)
自分の中で誰に言い訳する出もなくイルカは呟いた。


ちょうど一年前のこの日。
放課後、授業の終えたイルカは、教室から出て廊下を歩いていた。
手には3つの小さい包み。丁寧に梱包されているのもあれば、駄菓子もある。生徒からもらったバレンタインのチョコだった。
恥ずかしそうに渡して来た子もいれば、早く本命からもらえるといいね、なんて生意気なことを言う子。イルカは笑ってその子の頭を軽く小突くと、嬉しそうに子供らしい声を上げた。
無邪気で可愛い生徒の成長に目を細めてその後ろ姿を見送って、来年はもうここにはいないんだと、ふと寂しい気持ちになったが、卒業すると言うことは、それは嬉しい成長の課程。喜ばしい事だ。イルカは教材と共に持ったもらったお菓子を見つめて小さく微笑んだ。
夕焼けが差し込む廊下には生徒の声はもう聞こえない。その廊下を歩きながら視線を上げた。
カカシがこっちを見て立っている。
カカシに頭を下げられ、イルカも慌てて頭を下げた。
そう言えば、今日は彼に夕飯を誘われていた。
カカシとは、自分が担当していた生徒の上忍師となってから、最初は挨拶程度だった関係も、今や今日のように一緒に夕飯を食べ酒を飲む関係になっていた。
高名な上に格上の言わば上官に当たるカカシに、イルカ自身不思議に感じている。それに加えあの中忍試験の発表。あれで嫌われたのかと思っていたのに。
一緒に飲みませんか。
気まずく重い気分のままだった自分に、カカシは声をかけてきた。
逆にそこから今の関係が出来ていったのは確かだった。
あの一言がなかったら、今もきっとカカシとは簡単な会話を交わす程度のはずだった。
会釈を返したイルカは、廊下の隅に立っている彼の元へ足を進めた。
逆光で遠くからはよく見えなかったが、カカシが抱えている荷物を目にして、イルカは驚いた。
ものすごい量のチョコに目を見張る。
ーーそれにしても。
思わず吹き出してしまったイルカに、カカシは首を傾げた。
「え、何で笑うんですか?」
「すみません。だって、なんか。...漫画みたいだなあって。そう思ったらつい可笑しくなってしまって」
自分もそこそこもらえる方だと思っていたが。それは相手は生徒限定であって。
好意を寄せる成人の女性から、山のようにチョコをもらっている姿は、初めて見たのだから、仕方がない。
「そんな笑わないでよ」
カカシは眉を下げ困ったような顔をした。
「袋持ってないんですか?」
「持ってないですよ。でも、さっき見かねたのか、女の子が袋くれたんだけどね。小さくて、」
見せられたのは小さい手提げ用の紙袋。数個しか入らない。だからそれすら一緒に抱えている。
その生徒とのやりとり想像したら微笑ましいが、でも可笑しくなって、また笑ってしまう。イルカは口に手を当てながらカカシを見た。
「じゃあ今まではどうしてたんですか」
聞かれてカカシは、困った顔のまま視線を斜め上にずらした。
「えー...そりゃ貰うには貰ったりしてたけど。...だって、去年までは俺正規じゃなかったですもん」
少し拗ねたような口振りで言う。
(あ、そうか)
暗部の出だと噂からは聞いてはいた。仮面を付けた男の素顔を知っているのは仲間内だけだから、こうはならないのだろう。
これは、カカシにも想像出来ていなかった事なのか。
大量の荷物を抱えたままのカカシに、微笑んだまま小さく息を吐き出して。
「職員室にきっと大きな袋ありますから、待っててください」
イルカはそうカカシに告げ、帰り支度と共に袋を取りに行くために職員室へ足を向けた。


「この量だと、お返しするのが大変ですね」
居酒屋で酒を飲みながら。テーブルの下、カカシの足下に置かれた袋を見ると、え、とカカシが聞き返した。
「...お返しって。やっぱりそれ必要ですかね」
心底困った顔をするカカシに視線を戻した。
義理らしいものもちらほらあるがるが、ほとんどが本命だろうチョコ。男としてモテる証に違いないが、自分で置き換えて考えても、この量は気持ちが見え隠れする分、重い。
「今まではどうしてたんですか?」
問いかけると、グラスを傾けていたカカシがイルカを見た。
「今まで?...は、そうね...ま、仲間内の義理がほとんどでしたから」
野郎ばっかだったしね。と、言って軽く笑う。
カカシの過去を探りたい訳じゃないけど。
「でも今回でホント、懲りたんで。次からは貰うの断りますよ」
ため息混じりにカカシが苦笑いした。
すげえな。モテるレベルが違うとそうあっさり言い切れるものなのか。
そう思いながらも、イルカも合わせて笑う。
「あと、俺甘いのは苦手だし」
こっちの方が好き。そう言って、酔ってきたカカシはほんのり頬を赤く染めながら、美味しそうに煮魚を食べ始める。
カカシは魚が好きで、食べ方も上手い。器用に魚の身をほぐすカカシの指を見ていたら、ふとカカシがイルカへ視線を向けた。
「先生は今日何個もらったの?」
あの3つ以外に。
「俺ですか?俺はカカシさんほどじゃないんで」
「でもそれ以外にも貰ったんでしょ?」
「はあ、まあ」
頷くと、聞いてきたのはカカシなのに、少し面白くなさそうな顔をする。山ほどのチョコを貰って、引き合いになるわけでもないのに。イルカはそのカカシに不満そうな顔を向けた。
「俺だって貰いますよ。チョコの5個や6個。そりゃカカシさんまではモテないですけど」
口を尖らせると、カカシに何言ってるの、と返された。
「これがモテるにイコールするのか分かんないよ。上忍に対する媚びだってあるんかもしれないし。数打ちゃ当たるって子だっているんじゃない?」
女子目線の思惑は不透明すぎてどうとも言えないが。
ただ言えるのは。大きさや包みを見る限り。手作りだとアピールしてるのだって多い。そんな包み達が可哀想にも見えてくるが。
「以前カカシさんは彼女がいないって言ってましたけど。この貰ったチョコの中から探すとかは、考えないんですか?」
それを聞いたカカシは眉を下げた。
「あー、ないですね。考えないです。そんな事考えてたらイルカ先生誘って今日飲みに行ってたりしませんよ」
「ですよねー」
そう返してイルカは酒を飲んだ。
今はいないが。カカシに隣に座る女性がいつかはできる。
女の話をそこまでカカシとはしてないが、一体どんな女性を選ぶんだろうか。そこに興味はあった。
カカシは、グラスを合わせるように持ち上げる。イルカも自分の持っていたグラスをカカシに合わせた。
そこで、カカシは嬉しそうににっこり微笑んだ。

「ごちそうさまでした」
払うと言ってもカカシは自分が誘ったからと支払いを一人で済ませてしまい。
店を出たイルカは頭を下げた。
「いいのいいの。俺無駄に給料もらってるから」
それに見合った内容の仕事をしているのに。冗談混じりに言われてイルカは申し訳なく苦笑いを浮かべる事しかできない。
「まだ寒いねえ」
ぶるりと身体を震わせてカカシはイルカの横に来る。片手に持った大きな紙袋がガサガサと音を立てた。
「そうですね」
イルカは口元をマフラーに隠すようにして巻く。
夜になって一段と冷えてきた寒さに、イルカも身体を震わせた。白い息を吐きながらカカシと並んで歩く。
「甘いの苦手って言ってましたけど、それどうするんですか?」
聞くと、カカシは紙袋を腕にかけ、両手をポケットにつっこんだまま、んー、と考えるように言った。
「甘いの好きそうな連中にあげようかなって思ってます」
紅とかアンコとか。
「ああ、なるほど」
言われた顔は皆喜んで食べそうで。イルカはふふ、と笑いを零した。
「貰っていいなら俺も貰いますよ?」
義理っぽいのなら、捨ててしまうよりいいだろうと、申し出たのに。隣のカカシから返事がない。
「....カカシさん?」
顔を横に向ける。
寒いからなのか、触れそうな距離をとるカカシもこっちを見た。冷えた空気の中で見る青い目は、いつもより澄んで見える。
綺麗だなあ、と。男相手には言えないから心の中でそう思っていると、カカシは足を止めた。
ごそごそと、カカシはポーチの中を探る。
「イルカ先生にはさ、これ」
差し出された小さなそれは、綺麗な包装紙に包まれていた。高級感漂う深い青色の包装紙。それに深紅のリボン。
「...どうも」
イルカは条件反射のように差し出された包みをカカシから受け取った。
てっきり大きな紙袋から渡されると思っていたから。何でだろうと素直に思う。
「それは俺から。イルカ先生に」
「....え?」
包みからカカシへ視線を上げた。
「俺が買ったの。イルカ先生のために」
追加して言われる。
カカシさんが俺のために?
目が点になって。そこからイルカは笑った。
笑い出すイルカに、カカシは眉を寄せる。
「なに、どうしたの?」
「だって、こんな義理初めてもらったんで驚きました。でも嬉しいです。カカシさんから貰えるなんて」
「義理って、」
「中身はなんですか?」
「...勿論チョコですよ」
「高級そうですね」
嬉しそうに微笑むと、カカシは曖昧な表情を見せた。
「ホワイトデーには俺お返ししますよ。あ、お菓子じゃなくって。今度は俺が夕飯奢ります」
「...うん」
「来年は俺も用意しなきゃなー」
笑って歩き出したイルカに、カカシも歩き出した。


あのチョコは本当に美味しかった。
そのチョコの味は今でも思い出す。
でも、美味しいのに。気持ちは複雑だった。

そう。俺は誤魔化した。

(...大体、そんな気持ちを自分に向けているなんて知らなかったし)
職員室で自分の席に着きながら、女性教員からもらった包みをぼんやりと見つめた。
赤くて子供が好きそうな包装紙。そのチョコの包みを指で触れる。
あの包装紙とは全然違う。
同じ紙なのに。
開けるのも緊張した。
男同士なのに。それに俺はノーマルだ。
包みを開けると、綺麗にチョコが5つ並んでいた。一つ一つ違う形で味もそれぞれ違うのだろう。
食べた事がない有名な洋菓子のチョコ。
いや、それでも。義理に決まってる。
並んでいるチョコをイルカはじっと見つめ、一つ口に入れる。
甘さも控えめで、でも何層にも広がる味は美味しいとしか言えない。
口の中で食べれば、溶けてやがてなくなる。
このチョコをカカシが買った。
女性ばかりの店で、男一人カカシが買っているのを想像したら堪らなくなった。

カカシはそれ以上何も自分には言ってこなかった。
翌月のホワイトデーはカカシは任務だったから、その1週間後に夕飯を約束通り奢ったけれど。
いつもと変わらないカカシだった。
それは今も。
ぼんやり座っているうちに、授業が始まる時間が近づいてくる。職員室も出勤してきた人でざわめき始めた。
朝一番の予鈴が鳴る。授業の前に職員室内で朝礼が始まる。イルカも朝礼に参加する為に立ち上がった。
主任がいつものように話し始める。
それを聞きながら、今日の自分の予定を頭に浮かべた。
今日は午前中授業を受け持ち、午後は受付報告の仕事になる。それが終わったら。
イルカは握った手のひらに力を入れる。
3日前、カカシを夕飯に誘った。
19時にいつもの店で。
再びイルカは指に力を入れた。

午後、受付でカカシに会うと思っていた。だが、イルカが席を外して執務室にいる間にカカシは報告を済ませてしまっていた。
会ったからと言って特にその場で何かを話したかった訳じゃないが。ただ単に七班の任務報告を直接聞けなかったのは残念、とイルカは思った。
そうしている内にも時間が過ぎていく。定時近くに珍しく報告に来る人が少なかったから、同期の仲間に任せてイルカは書類をまとめる作業に入った。
これを上司に確認してもらい、そのまま執務室へ提出して今日の業務は終わりだ。
その予定のはずだった。
「酒、ですか」
執務室でイルカは聞き返した。
頼んでいた接待用の酒が酒屋に入荷したらしい。
「ああ、昨日行こうと思ったが行けなくてな」
今日も今から別の仕事が入ってる。お前が行ってくれるなら助かるが。
明日、火影が他国の重役と会う約束があるのも知っていた。木の葉のアカデミーの仕組みに興味を持ち、視察に来る。
どうしようかと一瞬考えるが、その表情を火影はしっかり見ていたのか、
「何だ、用事でもあるのか」
言われてイルカは曖昧ながらも首を振った。
「いえ、用事がありますが問題ありません」
こんな雑務も仕事のうち。明日は酒屋が定休日だとも分かっていた。そうなると行ける時間は限られてくる。
「直ぐに行って参ります」
イルカは頭を下げた。
一升瓶四本。木の葉の柄が入った綺麗な風呂敷に二本ずつ。包まれている。
両手にそれを下げて商店街を歩く。
赤い色のポップな飾りが商店街を彩っていた。
今日はバレンタイン。店それぞれに趣向を凝らしてチョコやバレンタイン関連の商品を並べている。
若い女性や子供連れの主婦が商品を手に取っている。ゆっくり歩きながら、イルカは店に並んでいるチョコを横目で眺めた。
「あ、先生!」
八百屋の前を通り過ぎて、店の前に立っていたのはその八百屋のおばちゃん。イルカもよく顔を出している八百屋。
いつもは紺の前掛けをしているのに、今日は可愛らしいエプロンをしていた。
「こんにちは。今日はエプロンなんですね」
「あ、気が付いた?これは今日限定なんだけどね」
恥ずかしそうに笑ってエプロンを叩いて、店先を指さす。
そこにはオレンジのお菓子が並ぶ。
「いやね、せっかくバレンタインなんだし。野菜のお菓子でも売ろうかなって」
「へえ。旨そうですね」
オレンジ色した包みを手に取る。
「それは人参のケーキ。こっちはほうれん草ね」
なるほど、野菜のお菓子はなかなか見ない。
面白いなあ、と眺める。
「今日はもう仕事は終わったのかい?」
聞かれてイルカは苦笑しながら首を振った。
「いえまだ」
持っていた風呂敷に包まれた物を見せるように上げた。
「届け物がありまして」
「ああ、あの酒屋の。そりゃご苦労様」
風呂敷を見ておばちゃんはねぎらう言葉を口にする。
じゃあ、と背中を見せようとしたイルカに、
「ねえ先生」
声をかけられイルカは足を止めた。
「ついでにじゃないんだけど、ちょっとお願いしたい事があるんだけど」
「....はあ」
「実は主人が腰痛めちゃってね。店番私一人でやってるんだけどさ。今日はあのケーキもあるからか、売れ行き良くてね」
そこでおばちゃんは両手を合わせた。
「もう少しお菓子焼きたいんだよね。その間だけでも店番頼めないかい?」
言葉に詰まる。手伝ってあげたいのは山々だが。もう時間はカカシと待ち合わせた時刻になろうとしていた。
これを火影に届けて行っても少し遅刻するぐらいなのに。
「あ、用事があるんならいいんだよ。ごめんね。変な事言っちゃって」
顔に出やすいのは前々からだが。ここでも出てしまっていたのか。
イルカの困った顔を見て、おばちゃんは笑顔を見せ明るく言う。
それを見たら口を開いていた。
「いえ、手伝いますよ。これ置いたらすぐにここに来ますから」
「え、本当にいいのかい?」
「はい。日頃お世話になっていますから」
「悪いね」
彼女のホッとした表情を見て、イルカは笑顔を見せた。

少し遅れるくらいはいいだろう。
きっとカカシは分かってくれる。
先に飲んでくれていれば、それはそれで話しやすい空気になるのかもしれない。
イルカは酒を抱えて走った。
「八百屋で手伝い?」
急いで帰ってきたイルカを見て火影に理由を聞かれ答えると、少し驚いた顔をした後、
「今日は用事があるんじゃなかったのか」
聞かれて、はあ、と返事をする。
「そこまで時間かからないはずですので」
そう言うイルカに呆れたような顔をして、火影が笑った。
「お前らしいな」
らしいと言われてイルカは照れくさそうに頭を掻く。
「だったら早く行け」
片手をひらひらさせる火影に、イルカは深く頭を下げると執務室を後にする。
カカシとの約束の時間から30分過ぎていた。

八百屋のおばちゃんの言う通り。いつもより人が多い。それはきっとバレンタインで商店街に足を運ぶ人が多いからだろう。
おばちゃんは店の奥でクッキーを作っている。
日も沈み暗くなっているが、客が途切れる事はなかった。
ベストを脱いで前掛けをして接客をする。
教師をしてて良かった。
子供の頃は暗算が得意ではなかったが。教師になって毎日授業教えているからか、間違える事はない。
商品を渡してお釣りを前掛けのポケットから渡す。
単純な計算でも間違えては店の信頼に関わってくる。
しかし、これは生徒の授業に使えるのかもしれない。
なんて思うのは根っからの教師だからか。
「しかしまあ、よく客がくるねえ。イルカ先生が売り子だからだね」
顔を出した八百屋のおばちゃんが嬉しそうに言った。
「悪かったね、こんな事頼んじまって」
腰を痛めて寝ていた店主まで、寝間着のままおばちゃんの横から顔を出した。
慌てて首を振って笑顔を見せる。
「いいんですよ。これくらい」
手伝いする事は何ともない。ただ、時間が気になるだけで。
自分から言ってもいいのとは思うのだが。
そう客が来られてはなかなか自分からは言い出しにくい。一人で接客が大変だと、分かっている状況で、約束があっても、彼女を一人にさせるには気が引ける。
店主に礼を言われたら尚更だった。
接客して笑顔を見せながらも、心臓はずきずきと痛んだ。

「悪かったね、結局最後まで」
なんだかんだで閉店までいたのは自分が決めた事だった。
「じゃあ、俺はこれで」
顔には出しちゃいけない。イルカはそこから走り出した。周りの商店街の店はほとんど閉まっている。
自分が行きたかった店も、もう電気がついていない。
自然顔が俯いてしまっていた。暗い足下を見つめて。
イルカは閉め出すように息を一回吐き出すと、顔を上げた。
「よし」
足に力を入れる。またそこからイルカは走り出した。
三時間。
誘っておいて三時間、カカシを待たせしまった。
商店街から待ち合わせの店までは走れば15分くらい。そこまでの距離じゃない。
思ったより急いでいる自分がいる。
当たり前だ。
でも。もう。
カカシは店にいないのかもしれない。店自体はまだやっている時間帯だが。
もしまだいるのなら、カカシはその店に3時間以上いることになる。
一人で。
イルカの眉間に皺が寄った。
いるだろうか。
いや、もういないかもしれない。
すっぽかしたと思って帰っているのかもしれない。
すっぽかした訳じゃないが、理由どうあれ、結果自分は同じ事をしてしまったのだから。
店に着いて扉を開けようとして、中から出てきた客にぶつかりそうになった。
「あ、すみません」
慌てて身を引き軽く頭を下げる。
相手は気が付かなかったのか、謝るイルカを見ることなく、仲間内で楽しそうに会話をしながら店から出て行った。
そこからもう一度気を取り直して店に入る。
狭い店内は見渡せる。入り口から店内を見渡しても、カカシはいなかった。
「お一人ですか?」
店員に聞かれて、イルカは頭を横にふった。
「いえ...すみません。また来ます」
謝って店を出る。
一人で歩き出した。
本当は。八百屋で手伝っていた時に言うタイミングがあった。
それでも言わなかったのは。
自分が意気地なしだからだ。
カカシを誘って約束をして待たせているのに。
会うのが怖かったから。
同時に胸が痛む。
カカシに申し訳ない事をした。
自分らしくないなあ、と思う。
遅刻厳禁なんて生徒に毎日言ってる人間が。
ふう、と息を吐き出すと、息が白い。寒かった事を今更ながらに思い出した。人一人通らない寒い夜道を一人でゆっくり歩く。
こんな待ちぼうけにさせておいて、カカシは怒ってるだろう。いや、カカシの事だから理由を聞いて、正直に言ったらそれで笑って許してくれるのかもしれない。
でも。
今日は会いたかった。
だからカカシと会う約束までしたのに。
イルカは立ち止まって何もない地面を見つめた。そこで目を閉じる。
何やってんだ俺は。
でも、遅いと言っても日付が変わるほどではない。
ーー今からでも。
目を開け顔を上げて。
今更ながらに、カカシの家を知らない事を思い出した。
再びため息が出る。
そこからまたとぼとぼと歩き出した。
大体。去年カカシが俺にチョコなんて渡すからいけないんだ。
どっからどう見てももっさい中忍のどこにでもいる普通の男に。
なんで俺なんかにチョコを。
しかも、あんな高級なチョコ。わざわざ、店に行ってまで買って。
俺の為なんかに。
義理なんかじゃない。
カカシはあの時、そう言おうとした。
知ってた。
でも、そんなの信じたくない。信じたくなくて、カカシの言葉を遮って。その場を空気を誤魔化して。なかったように、した。
今思えば。
相手が同性だからとか関係ない。気持ちを信じたくないとか、そんな事じゃない。
人が真剣に気持ちを伝えるのに、そんな小さな事はどうでもよかったんだ。
それなのに俺は。
最低だ。
目頭が熱くなる。
そこから返事を出すのに一年かかった。
ずるいけど、好きな人に愛を告白するこの日を使おうと思った。
カカシへあのチョコの返事をする為に。

でも。
失敗した。
イルカは小さく笑って、目頭を手の甲で擦った。
謝ろう。
明日カカシを見つけて誤りに行こう。
だから、ーー今日したかった事は忘れて。何もなかったように。
家に帰ろうと顔を上げた時。
カカシがこっちに向かって走ってくるのが見えた。
驚く。
まさか、会いたかったとは言え。本当にカカシに会えるなんて思ってもみなかった。
「.......」
驚いて言葉が出ないイルカの前でカカシが足を止めた。
少し息を切らしている。
何回か瞬きをして、目の前にカカシがいる事を再認識して。イルカは口を開いた。
「...なんで」
そう言うと、カカシは息を整えながら、ニコッと微笑んだ。
「帰ってる途中だったんだけどね。もしかしたら、イルカ先生が店に来てるかもしれないって。そう思って」
そしたらホントにいた。
嬉しそうに、笑った。
その笑顔を見たら。収まってきていた気持ちが、簡単に沸き上がってきた。泣きたくなくて、奥歯を食いしばる。
眉根を寄せて俯いたイルカに、カカシは驚いてイルカの顔をのぞき込んできた。
「どうしたの?」
聞かれても、直ぐに答えれない。が、何とか体に力を入れながら、口を開いた。
「...怒れよ」
「え?」
ばっと顔を上げる。
「何で怒んないんだよ。....誘った相手がこんなに遅刻したのに」
「怒る?何で?怒らないよ」
怒った眼差しのままのイルカに、カカシはきょとんとした顔をした。
「そりゃ来なかったのは俺自身残念だったけど。理由があって来れなかったんでしょ?」
視線を落としながら、イルカは小さく頷いた。
「....八百屋さんに手伝いを頼まれて....」
呟くように言うと、カカシは、ほら、と言って微笑んだ。
「だから、怒る事なんてないんですよ」
「でも...、怒ってくれなきゃ気が済まないんですっ。せっかく。...せっかく気持ちを切り替えようとしてたのに」
「気持ち?」
聞かれてイルカは口を結んだ。
視線をそらしたイルカの顔をのぞき込む。
「気持ちって?何?俺に何か言おうとしてたの?」
その目が少し期待を含んでいる。それが分かってイルカは赤面する。
「べ、別に何も...言おうとなんて」
「えーそうなの?ざわざわ約束までしてたのに?」
「......」
黙りこくると、カカシはふっと笑いを零した。
「俺はてっきりバレンタインに関係してるのかなって、思ったんですけどね」
ハッキリ言われて耳まで熱くなった。
悔しくて、イルカは持っていた袋をカカシに勢いよく差し出した。カカシの胸に当たる。
「これをカカシさんに上げますっ」
「...これを?」
差し出された袋を受け取って中をまじまじと見る。
今日八百屋のおばちゃんにお礼だと言ってもらった野菜がぎっしり詰まっていた。
「...本当は..っ、チョコを渡したかったけど、店がどこも閉まってて買えなかったんだから、仕方ないじゃないですかっ」
カカシの目が見開いた。
「え?...チョコって」
「チョコはチョコですよっ。カカシさんがさっき言ったバレンタインのチョコですっ。俺はそれをあなたに渡すつもりだった。でも、予定外の事が色々あって。先に買っておけば良かったけど、こんな時間まで手伝う事になるなんて思ってもなかったし」
もらった袋を開いたままのカカシはぽかんと口を開けていた。
「先生、俺にチョコくれるつもりだったの?」
「ええ?そうですよ?」
答えても、カカシの反応が鈍い。
同じ格好のまま固まっている。
「...カカシさん?」
「義理じゃなくって?」
名前を呼んだらそう聞かれた。イルカは力強く頷く。
「はい。義理じゃなくって」
そこでようやくカカシが笑った。声にならない、息を吐き出すように一回笑って。
「そうなんだ....」
安堵した表情でイルカを見た。
「なんだー。そっか....そうだったんだ」
独り言のように呟くカカシに首を傾げた。
「カカシさん分かってたんじゃないんですか...?」
さっき言ったのは、そう言う意味じゃなかったのか。そう思っていたのに、カカシは首を横に振った。
「強がってみただけで。ホントにそうなんて思ってなかった」
恥ずかしさのあまりイルカは下を向いた。
「ありがとう」
言われて顔を上げると。
目を細めて、カカシは微笑んだ。本当に幸せそうに。
「あんたに貰えるならチョコじゃなくなったって、人参でも大根でもブロッコリーでも、何でも嬉しい」
バレンタインにあげたのが野菜になったと改めて思い知らされ赤面して後悔する。
「俺たち両思いですねー」
「....そう...ですね...」
「じゃあ今からこれ持って店に行きましょう?」
まだご飯食べてないんでしょ?
小さく頷くとカカシに手を取られる。
手を繋いでいる事に困惑して、大の大人の男が、と困った顔をすると、手を引きながらカカシが肩越しにこっちを見た。
「もしかして後悔とかしてる?」
しない。
するわけがない。
恥ずかしいけど。この手を離して欲しくないのは事実だ。その気持ちを込めるように手を強く握り返す。
「するわけがないでしょう。ただ…こんな日に野菜しかあげれなかったのは、後悔してますが」
そう言ったらカカシはげらげらと笑った。
嬉しそうに。

<終>





※拍手は2月いっぱいまで撤去しましたありがとうございました。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。