pin「milk ~たまには胃が焼けるような甘いだけの時間も欲しい、とろけるようなmilk~」

イルカは、ドキドキなのかビクビクなのか自分でもよく判らない内心を抱えながら、
凍てつく寒さに震える体を叱咤し、体育館裏に来ていた。
手には、白くて繊細な便箋に書かれた走り書きのようなメモ。
あまりにも高級な紙で出来た便箋だったため、握りしめる事も出来ず、
祈るように両手でそっと手紙を挟み、このメモの意味を、今、イルカは必死で考えていた。


朝、アカデミーに向かう途中、ナルトに出会った。
ナルトはいつものようにイルカの腰に纏わりつきながら雑談を楽しみ、
そして去り際に、思い出したかのように胸から手紙を出して、
イルカにこういったのだ。
「カカシ先生がイルカ先生にって、コレ!カカシ先生、人使いあらいってばよ!」


イルカは両手で挟んだ手紙を見る。
持った瞬間、ビリリと電流が走ったように手がしびれた。
厳重に術まで施され、ナルトが好奇心に負けて開けないようになっていたのだ。
そこまでするなら、自分で渡しに来ればいいのに、と思わないでもなかったが、
きっと自分に直接渡しづらかったのだろうと予想する。

つまりは、
これは、
良からぬ事なのだ。

メモには、こう書かれていた。

≪放課後、体育館裏。一人で来ること。そこに来た男からメモを受け取れ≫

まるで、犯人から身代金の受け渡し方法を聞かされているかのようである。

「俺…金、持ってないけど…」

本当に身代金を要求されたらどうしよう、とか、
誰が誘拐されたんだろうか、とか
普段ならありえないだろうと判るような妄想にまで手を出しつつ、
イルカは横から吹き付ける強い風に耐えながら「男」とやらを
中忍根性で待つしかできなかったのである。


遅れる事、15分。
何故か、甘ったるい匂いが、ふん、とイルカの周囲に漂い出した。
「幻術か!?」
イルカは咄嗟に印を組むが何も起きない。
ならば、これは現実か。
冷や汗を感じながら、イルカは周囲に意識を集中させる。

不意に背後に何かの気配を感じて、ばっと振り向いた。
姿は見えない。

しかし、いる。

集中して周囲を探る。
建物の中、木の上、土の下…
目だけでなく、チャクラも総動員して、イルカは周囲の気配に精神を集中させた。

ふわりと。

唐突に自分の髪が持ち上げられる感覚に、イルカは間髪入れず振り向いた。

しかし、背後にいたのは猫。

にゃおんと一鳴きすると立ち去っていく。
その猫が、忍猫、もしくは何者かの変化かと疑ったが、
しかし、猫は我関せずと、イルカから遠ざかっていった。

それにモヤモヤしたような、拍子抜けしたような気持ちを抱いて、また、ゆっくりと前を向いた。

ら。

目の前に、まるで今もそこに立っているのが間違いかのような佇まいで、
黒い男がいたのだ。

イルカが目を丸くして、男を見、そして気づかなかった自分の不甲斐なさに、
歯をぎりりと噛みしめる。

(こいつが、身代金を…!)

強張るイルカに、男は何故か、「ふふふ」と笑ったような気がする。
被害者をいたぶるタイプの犯人だろうか。
イルカが、ぞくりとするのを背中に感じつつ身構えると、

「イルカさん、だね?」

見た目の印象と同じような柔らかい声が、イルカの耳に届いた。
(身代金の交渉役には、物腰の柔らかい人間が担当すると聞く…なるほど…)
イルカは睨んだまま、隠しても仕方がないので、素直に小さく頷く。
すると、男はポケットから小さなメモを取り出して、イルカに手渡した。

「これ、カカシさんから。ちゃんと、守ってね?でないと、僕が怒られちゃう」

言いながら男はするりとイルカの頬を撫ぜる。
男が手を持ち上げた事すら気づかなかったイルカは、
(首を切られる!)と背筋を凍らせたが、
男の手は一向にイルカを切り裂くことなく、
柔らかく頬から耳、そして首筋に指を滑らせてそのまま離れていった。

「じゃあ後でね」

また、あの「ふふふ」という声が聞こえたかと思うと、もう男はイルカの目の前から消え去っていた。
あんな、目立つ風貌の男だというのに。
まるで風のようだ。

イルカは、ひとまず殺されなかった事にふうと体の緊張を解いて、
男から手渡された紙を見た。

そこには、最初の手紙と同様の走り書きのような文字で。
さらりとこう書いてあった。


≪先ほどの男の名前をあてよ≫



勇気を振り絞り、読んでみた。

「≪先ほどの男の名前をあてよ≫」

声に出しても同じだ。
それだけしか書かれていない。
試しに、反対からも読んでみたが、全く意味は分からなかった。


イルカはブルブルと肩を震わせて。
そして力の限り、その場で叫んでしまったのである。


「しるかあああああああああ!」


あたりには、幻術のようなチョコレートの甘ったるい匂いが漂っていた。


・・・

イルカはふらふらになりながらも、寒いので、職員室の自分の席に戻る。
すると、席の上には一包みの簡素なチョコレートがポツンと置かれていた。
包装紙の色は少し濃い緑色だろうか。
あえて言うなら、《ゆでたてのえんどうまめ》色だ。
イルカが不思議そうに摘まんで観察をしていると、
隣の同僚が、ひょいと顔をこちらに向けて、「それ、渡せって言われてな」と教えてくれる。
「へえ、食べていいのかな」
イルカがチョコレートの包みをみやると、同僚はさも面倒そうに、
「勝手にしろよ」と手をしっしと払うように振った。
イルカは包みを開く。
中身は、何の変哲もない、ただのミルクチョコレートだった。

しかし、包みを破っていると。

なんだか見覚えのある文字が包みの裏に書かれていた。

イルカは一瞬で青ざめながら隣の同僚に恐る恐る声をかける。

「おい…これ、渡しに来たのって…」
「おう、カカシさんだ」
「うわあああああああ!誘拐犯ーーーー!」
「はあ…?」

思わずカカシの名前を聞いて、持っていたチョコレートを落としてしまうが、
しかし彼は名だたる上忍である。
貰い受けた品物を、例えチョコひとかけでも無駄にしようものなら
何を言われるかわかったもんじゃない。

イルカは慌ててチョコを拾い上げて、包みのメモを読んだ。

《健康管理にはヘルを伴う》

ただ、それだけが書いてあった。
なんだというのだ。

このチョコレートを食べると太るぞ、健康管理がなっていない、と怒られるのだろうか。
まさか胃の中で爆発とかしないだろうな。

ヘルを伴う。
ヘル。正直、なんのこっちゃだ。ヘルとは地獄の事か?
全くもって意味が判らない。
暗号なのだろうか。だとしたら暗号解析班に協力を仰ぐべきか。

しかし、健康管理には地獄を伴う、とは少々過激な表現だ。
宗教でも始めるつもりだろうか。
《健康管理をせねば地獄に落ちるぞよ》
白いズルズルの神服を着たカカシが目に浮かんで、イルカは慌てて首を振る。
「まてまて。妙に似合いそうな所がまた腹立たしいが、話が飛躍しすぎだ。ここにあるのは単なるチョコだぞ。しかも一かけ」

いや、しかし、まてよ、と思う。

食べなかったら食べないで、
上忍のあげたお菓子が食べられないと言うのか、と責められても困る。

隣の同僚が、「うっせえぞイルカ、全部漏れてるぞ!サトラレかよ!」と怒鳴ってくるが、
イルカは今それどころではないのだ。

さて考えろよ、とイルカは再度頭をフル回転させる。
前者であれば、あとで絶食します、でなんとかなるが、
後者だと後々まで文句を言われても敵わない。

イルカは、さんざん悩んだ末、チョコレートを口にすることに決めた。

ぱくりと一口で口に収まるサイズのチョコレートは、
とても甘くて。
しかし上品でするりと口の中から名残惜しく消えていく。

美味しい。

思わず、包みにメーカー名が書いていないか調べてしまう程だ。
しかし、包みにはメーカーどころか、賞味期限も書かれていない不愛想な紙だった。
ミルクチョコレートなど、甘すぎて滅多に買わないというのに、これだけはまた食べたいと思わせるような。
本当に美味しいチョコレート。

イルカは幾分か気分がよくなる。
こんな地獄なら、落ちてもいいかもしれない。

そして改めて健康管理と書かれた文字を見つめた。

・・・

イルカは夕方から深夜にかけて、受付の担当だったために、
職員室を出てからまっすぐに受付に向かう。

すると、受付は、何やら、てんやわんやになっていた。
よく見ると、任務依頼のお客さんと揉めているようだ。
受付担当の同僚が全員、その客を取り囲んで、一様に困った顔をしているのが見えた。

イルカはすぐさま、同僚たちの所へ駆け寄る。
「どうした」
イルカを見て、同僚が幾分かホッとした顔を見せた。
そして、客を、丁寧に両手でイルカに紹介する。

「えーご紹介いたします。こちらのお客さま」
同僚に促されてイルカは慌てて頭をさげて挨拶をする。
「あ、こんに・・・」

最後まで言えなかった。
何故なら、そのお客は、どっからどう見ても。

外国の人だったのだ。

「お。おおお・・・」

イルカが動揺しながら声にならない声を出す。
同僚も同じように「うごごぉ…」と変な声を出して、イルカを肘で突いた。

「お、おい、お前、英語喋れるか?」
「い、いや、実は英会話は苦手で…」
「俺もなんだよ!ペーパーテストでは点数取れるけど会話はちょっと…!」
「どうすんだよ!誰か英語判る奴…!」
「それが、今、英語出来る奴は、皆、そういう任務で出払っていて…」
「うおおおお、そういえば、紅先生が隊引き連れて出発していたな!だから英語出来ない連中がここに寄ってたかってんのか」
「そうなんだよ!皆役に立たねえ!そして、更にお前も役に立たねえ!」
頭を抱えて、うおおおおと叫ぶ同僚に、
そう言われるのも事実なのだが、負けず嫌いのイルカが少しムっとする。
イルカは、役に立たないという言葉が一番嫌いなのである。
「なにおう…!じゃ、じゃあ、俺が何とかしてやる…英語なんざ、喋れなくてもな、書ければ!」
そして、イルカがスルスルと紙に英語を書き出す。

「≪May I help you?≫ どうだ!」
「うおおお!イルカ頭いい!」

一瞬で受付忍が沸き上がり、中心のイルカがニヤリと笑う。
そして、イルカがすっと片手をあげると、ぴたりと周囲の喝采が止んだ。

神妙な顔で、すっと、紙を客に渡す。
受付忍が、固唾をのみこみ、その様を見守る。

客は、その紙を見て、少しだけ小首をかしげた。
そして、客も緊張をしているのか、一回ごくりと、唾を飲み込むと、

意を決したように口を開いた。


「〇▽■×」


「うわああ英語ですらなあいいいい!!」
「ぎゃあああああ!!」



大騒ぎである。


・・・

結局、英語は出来ないが、
ヒエログリフに長けている、よく判らない歴女忍がいたために、
客と絵で会話をして事なきを得たが
実はあのやりとりの時に気づいた事があった。

イルカは仕事を終えるとすぐさま、体育館裏に向かった。
そして、男から受け取ったメモをビラリと出して。
力の限り大声を出した。

「貴方の名前を言い当てに来ました!」

いるかどうかも判らないが、しかし何故か近くでイルカの声を聞いているような気がしたのだ。
イルカは周囲を見渡すように首をぐるりと回しながら、
話を続ける。

「今日、海外のお客様がいらっしゃって。それで気づいたんです!このメモの意味を!」
ぎゅっと紙を握りしめた手は、寒風にさらされて少しかじかむ。
しかし、なおもイルカは叫ぶように話す。

「この言葉は我々の国の言葉ではないんですね!」

そう、この意味は、言葉の引き算なのだ。
健康管理にはヘルを伴う
つまり、
健康管理という言葉から、ヘルを取れ、という…。

「しかし、受付の同僚が言っていたんです!今日、英語が出来る忍びは、皆、出払っているとを…つまり!」
イルカはどこにいるか判らないので、とりあえず目の前の木の上を目がけて指をビシイッとさす。

そうだ、ということは。

「あんたは英語が出来ない!」

イルカは、もうやけくそのような気分で、肩を震わせて悪役のようにグシグシと低く笑う。
上忍のくだらない遊びに付き合わせやがってこのやろう、と、
今にも口から汚く出て行きそうになる言葉を、ぐっと堪えて、力いっぱい叫んだ。

「だから、これは、カタカナ英語なんだ!」

健康管理はhealth care。
カタカナでヘルスケア。
そこにはヘルを伴う。
つまり、ヘルスケアからヘルを削除しろということ。

ヘルスケア 引く ヘルは。

「スケア。そう、あなたはスケアさんだ!」

ドーーンとイルカは自信満々に言い放つ。
嫌味のように「ス」は舌に意識して発音してやった。
スの部分はthだからだ。
してやったり!とイルカは心晴れ晴れしながら、ニヤリと笑う。


一瞬だけ。
一瞬、間があった。
それは、イルカが長々とため息に近い息を吐きだすだけの時間で。


それが過ぎると、不意に、イルカの足元が妙な地響きで振動し始めた。
え?とイルカが周囲を見渡すと、
何故か、体育館の前に生えている木の下が、ゴゴゴゴと唸りだす。

そして、音と共に、地下への扉の口が、

ゴゴゴ、と。

どんどん、どんどん開き。


そして、数秒後。
完全にイルカの前に、入り口として姿を現したのだ。


イルカは、ざああと青ざめる。
だってここはアカデミーの体育館裏だ。
そんなところにこんな地下室があるなんて、普通は思わないだろう。
幻術か?!と思い、印を組むも、何も起こらないのだから、
恐らくこれは現実なのだ。

色んな常識的な思考が頭を支配して、動けずにいると、
背後に音もなく、あの男が立っていた。

「あたり…さすがイルカさんだね…じゃあ、ほら、ご褒美受け取りに行こうよ!」
イルカの手を優しく握りながら、
スケアと名乗る男がイルカの手を引いて、地下へ降りていく。
嫌味にも、スケアと名乗る時、この男もTHの発音していたが、
イルカはそれどころではなかった。


恐ろしい。
上忍恐ろしい!


イルカは身代金を要求されていることを今思い出す。
(こんな事に金使えるんなら、何も俺にたかる必要なくないか!?)
いや、もしかしたら、ここはリンチ場なのかもしれない。
誰にも見つからず、サンドバックになる運命なのか…!
そんな理不尽な。

そうなったら噛みついてやると息巻きながらも
内心ではビクビクだ。
訳も判らない強制力を持つ、この黒い男に手を引かれて一緒に地下に下りていく。
まるでイルカの心が聞こえているかのように、
絶妙なタイミングで、「ふふふ」と笑っているから、本当に侮れない。
読心術の使い手なのだろうか。

しかし。
深い地下への階段を下りながら、ふと思う。
それにしても、なんという紳士的なエスコートをする男なのだろう、と。
イルカとて、忍だ。
階段なんて、明かりがなくとも降りる事が出来る。
なのに、この男はわざわざ手をとって「足元気を付けて」と言いながら誘導してくれるのだ。
これがリンチ場への誘いでなければ惚れてしまうかもしれない。
誘拐犯に惚れるなんて、いわゆるあれだろうか。
ストックホルム症候群。
犯人といることで、犯人に好意を抱いてしまうアレ。
自分の性格を考えると、絶対それ、在り得るんだよなーと少し天井を仰ぎながらため息をついた。

そこまで、つらつらと考えたときに、
何故か握られた手に力が入るのが判った。

ん?とみると、もうじき階段が終わるようだった。
最後の一段を下り終ると、すぐ先に部屋からもれる明かりが見えた。
そして、むわあと広がる甘い匂い。

イルカは再度幻術かと思い印を組むも、やはり何事も起きなかった。
現実のようだ。
しかし、この匂いはどこかで嗅いだことがある。
イルカが鼻を動かしていると、
部屋からひょいと見覚えのある男が顔を出して、イルカを見てにこりと笑った。

「いらっしゃい、来てくれると思っていたよ先生!」
その嬉しそうな顔を見て。
そう、カカシの顔を見て、イルカは一瞬忘れていた自分の状況を思い出して、
「うおおおおおお・・・」と変な唸り声をあげてしまう。
が、そんなことはこれっぽっちも気にする事なく、黒い男が手を引いて部屋の中へイルカを促した。


部屋に入ると。
そこには、まるで別世界のような光景が広がっていた。
あえて説明するとしたら、
ファンタジィな世界の魔女の調合室、とでもいうべきだろうか。

部屋の中央には大きな窯があり、中がグツグツと音を立てていた。
部屋のあちこちには、なんらかの実が散乱している。
あれは、間違いなくカカオの実だ。

周囲には怪しい機械も沢山あり、端の方では遠心分離機がウンウンと唸っていた。
そして、これ見よがしに置かれている、
人一人が余裕で入れるくらいの大型冷蔵庫。

どれもこれも、危険な匂いしかしない。

イルカが部屋を睨み散らしていると、手を引いていた男がボフンと煙となって消える。
そこでやっと、あの男がカカシの影分身であったことを理解するが、
イルカはそれどころでは無くなっていた。

ただの一点をみつめて動けなくなる。
何故なら、部屋の隅には、
おおきな生き物が。

「もホおおおおお」と平和そうに鳴いていたのだ。


「う、うううう牛!」


イルカが震える指で牛を指さすと、カカシが照れくさそうに、牛の傍に寄り添ってにこりと笑った。
「そうなんです…俺、イルカ先生のためにこいつを…」
何故かカカシがモジモジしながら、言う。

「え?ということは、こいつが誘拐されたのか…。誰かが牛に変化させられているのか!?」

イルカが牛に飛びつくように駆け寄る。
「だれだ、ナルトか?サスケか?・・・いやサクラ?」
「先生。今の、どこ見て言ったの?セクハラ?」
「大丈夫か!?まさか、痛めつけられてないだろうな!?」
「絞ってはいますけど…」
「あああ。可哀想に、何か俺に伝えたいのか?口をもぐもぐさせて…」
「それは反芻と言います。牛はみんn」
「元に戻れないのか!?」
「…それが元ですからねえ…」

「サクラ!うおおおサクラああああ、先生、ちゃんと身代金払ってお前を開放してやるからな!」
「こらこら、その話どこまで続くの先生」

カカシが焦れて、牛の乳をイルカの叫ぶ口に向けてビシュビシュ絞り飛ばすと、
イルカもハっとする。

「え?牛?本物?」
「だからそう言ってるよね」
「ぬるい」
「搾りたてだからね」
「うまい」
「搾りたてだからね」

イルカが目を白黒させつつ、状況がよく判らないといった顔をすると、
カカシも大きくため息をついた。

「あのね、先生。これ、なーんだ」
カカシが中央の窯を指さす。
「む…まるで地獄の窯のようですね…あの有名な拷問器具、五右衛門風呂…」
「え、ちょ…!じゃあ、窯の中身は何だと思うの!?」
「む…。何やら甘い…チョコレートですね…」
「そ、そう!良かった、そこは判ってくれた!」
何故かガッツポーズをし始めたカカシが身を乗り出す。
「実は、これをイルカ先生に…!」
「俺に…?ということは…」
「ということは!?」
「俺を虫歯にして、長期的に苦しめる拷問ですね…」
「ええええ!?地味な!」
「チョコレート依存症になって、毎日、高値で売りつけられるようになるんだ…」
「麻薬…!?」
「ちょこれえとおお、ちょこれえとおおって、夜な夜なさ迷って…」
「ゾンビ化…!」

「カカシ先生の奴隷のようになるんだ…」

「あ、うん」

やけにはっきりと、そこは肯定されて。
イルカは絶望したかのようにその場にヘタリと座り込んでしまった。

「それは…その…あ、でも奴隷じゃなくて、その…」
カカシが照れたように両手の人差し指をツンツン突きながらモジモジしだす。


「あの、机に置いていたチョコレートは、カカシ先生の手作りなんですか?」
呆然としながらイルカが問うのに、カカシがやっと本題に入ったとでも言いたいかのように、
何度も縦に首を振った。
「そう!そうなんです!そのために、牛から取り寄せて…!」
「ミルクチョコレート…」
「ど、どうでしたか!?美味しかった!?」
「甘くておいしかった…」
「良かった!あ、あの、それで、えーと…」
「あの言葉遊びは何だったんです…」
「あ?あ、スケアの名前?あれは、先生、昔からいたずら好きだって三代目から聞いていて、その、じゃあ、コ〇ンのミステリーツアーみたいな遊びも喜ぶかな…って」
「俺が喜ぶ…」
「ほら、その、サプライズって奴…?その…盛り上げようと…」
「サプライズ…」

今日有った事をイルカが思い出す。
どれもこれも、あれはカカシがイルカを喜ばせようとしていた、甘いいたずらだったのだ。
身代金なんて必要なかった。
リンチもされない。
こんな地下室まで作って、牛まで取り寄せて。
そして一人でチョコレートを作って…。

この人は。
この人は…。


「俺を監禁したいのか…」


「待って!話がまた戻った!何故そんな犯罪的な発想になるの!!」
「じゃあ、監禁はしたくない?」
「え?いや、そういわれると…」
「やっぱりしたいんだ…」
「や、そりゃ、…でも、そんな無理やりとかは別に…。
あ、でも、先生、さっきストックホルム症候群になる自信があるって言っていたから、それも有りかな、なんて」
カカシがやっぱり何故か照れたように頭をひっかく。
「やっぱ読心術を…」
「えええ?いやいやいや、先生、普通に声に出てたけど!?」

「監禁…カカシ先生に監禁…チョコレート漬け…ゾンビ化…奴隷…地獄…」
「せ、せんせ…?」

所在無げに呟くイルカに、心配になったカカシが顔を覗き込む。
「・・・」
「え?何?先生、もう少し大きな声で…」
カカシが耳を、イルカの口元に寄せたのを見計らって、
イルカは力いっぱい叫んだ。

「まてえええええい!」

いきなり大声にカカシが目を丸くして、素晴らしい俊敏性で飛び下がる。
イルカの声は地下室にゴワンゴワンと響いて反響し、木霊した。

「待ってください!だとしたら、俺の計画はどうなるんですか!」
「け、計画…?」
「そうですよ!ずっと今日まで頑張ってきたのに!」
「あ、あれですか…?将来計画とか、そういう事ですか…?」
カカシが途端に悲しそうな顔になる。
が、それにイルカはブンブンと首を横に振った。
「そんな長期的な夢とか抱ける職業じゃねえだろ!」
「あ、そこは現実的なんだね」
うんうんダヨネーと、二人で何故か頷きあう。

「そうじゃなくて…!俺、だって、俺!今、三代目の隠し別荘で…!」
「三代目の隠し別荘?」
恐らくカカシにはその単語が突飛すぎたのだろう、
解析に時間がかかっているかのように目をぱちくりとさせた。
「そこは温泉が湧いていて」
「温泉!それを独り占めしてんの、あのジジイ」
「だから、湿度も温度も高くて、カカオの木を育てるにはもってこいで…」
「んん?」
「俺、頑張って、育てていて」
「んんん?!」

「今、やっと豆を収穫して乾燥させている所なんです!」

イルカの大声に、更に大きな声でカカシも叫ぶ。
「待って。何のために!」


わなわなとイルカの拳が震えた。
甘ったるい空気が、イルカに場違いのようにまとわりつく。
イルカはその空気を肺一杯に溜めて。
そして。

「そりゃあカカシ先生にチョコを渡すためでしょおおおがああああ!」

カカシの顔面をグーで殴りながら喚き散らした。

「明日のバレンタインのために、
今日は寝ずにカカオ豆を焙煎しようと思っていた俺の計画をどうしてくれるんです!」

「い、イルカ先生ぇ…」

カカシが殴られた頬を押さえながら感極まって泣きそうになるが、
寸での所で、ん?と目をテンにさせた。

「明日?」
「そう、明日です!!!」

そう、明日なのだ。
いくらイルカが鈍くて鈍感でニブチンで察しが悪い男であっても、
今日一連の出来事がバレンタイン当日なら、ここまで悪い方には考えなかった。
職員室のミルクチョコレートひとかけで気づいたはずなのに。

なのに。
なのに、なのに。

なのに、肝心の日付が違う!!!

カカシが一瞬呆然とした後、慌ててどこかへ式を飛ばす。
そして、それはすぐさま返答が返って来て。
カカシは、その紙を握りしめて、「アワワワワ」と震え始めた。

ちらりと見えた紙には、2月13日(月)21:26と書かれていたから、
面倒見の良い誰かが時報になってくれたのだろう。
紙の端っこに、若干血が見えたから、
送り主はもしかしなくても戦闘中だったんじゃないかと少し心配になったが、
それよりも目の前のカカシの顎が外れそうに開いているほうが気になった。

そんなカカシの状況に、イルカの教師根性がチクチクと刺激されて。
やれやれと肩の力を抜いてカカシの前に歩み寄った。

「カカシ先生…」
イルカが呼びかけると、カカシもはっとする。
「い。いいい、イルカ先生…」

イルカが優しく、カカシの震える手を握りしめた。
「あの作って下さったミルクチョコレート…俺のためと思っていいですか?」
「そ…そうです!勿論です!」
「カカシ先生の作ったチョコレート、本当に美味しかった。有難うございます」
「先生…」
「でも、今度は、俺の愛情こめて育てたカカオ豆で、ミルクチョコを作って頂けませんか?」
「先生の豆で…!」
「そう、カカシ先生の取り寄せた特別なミルクと、俺の愛と怨念の籠った豆…」
ハッとカカシが顔を上げる。
「一緒に、混ざり合おうという事ですね…!」
「ええ、一緒に。そして冷やされ、愛憎チョコに!」
「…先生!」


・・・


そんなこんなで、
一組のバカップルが、バレンタインを待たずして誕生したのである。



余談だが、これらのやり取りは地下で行っていた。
地下室は思ったよりも音が反響したし、
更に二人はかなりの大声で話していた。

そのため、声は地上にまで届いて、筒抜けだったのだ。
そして、
地上ではイルカやカカシの同僚たちが、二人のやり取りを一部始終聞いていた。
やっと、くっついたか、と安堵のため息をつきながら。

《本当の意味でバカップル》

そう呼ばれているのに気づいていないのは、
ミルクチョコのように甘々な本人達だけである。





※拍手は2月いっぱいまで撤去しましたありがとうございました。

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